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ひで屋、5年10ヶ月後の平成27年8月末 閉店致しました、皆様 お世話に成りました。こちらのブログは暫く残しておきますので、御自分が写っている写真を取り込む等使ってくださればと思います
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昨日は、 不肖わたくしの誕生日でありまして



「 特に歴史的事件が起きた日でも無く、先哲、偉人の誕生日と重なるわけでもなく、、 」


などと お客様と話をしていたわけですが


奇しくも、


僭越ながら、心の友、日本人の先輩と思っている 小野田寛郎氏の御命日と重なり

しばし 静考






とにかく、今まで通り


この 肉塊が 役に立たなく成るまで


1分、1秒を無駄にせず、 有効、有意義に使い切り


身の回りの方々の 益に成る様

向上精進するべし と









今回は、小野田寛郎氏の事に少し触れて書き、今は すでに見られなく成っている

ジャック・イズ・バック 2007年の 古いブログ記事を 添付再掲載してみました


古い物のママで 気恥ずかしいですが 手直しせず




最近店で、若い人が 特攻隊について話していた事が 頭にのこっていたので、、





添付した 記事でも触れますが


ペンよりも 重い物を持った事の無い 物書き、評論家に

命のやり取りをした者の心情を書く事は 不可能であり 滑稽であると私は感じる


戦後生まれの私も、

戦時中の兵士の思考、行動の批評や あげあしを とれるものではないし



「 この時、武蔵は ヒヤリとしたはずだ 云々、、 」 という小説等々









「 特攻隊は 覚せい剤を入れた酒飲んで、出撃したらしいですしね! 」


と、胸を張って 私に言ってくる 若者



アドレナリンとプライドのパンプを 体感したことの無い若者は


軽率に 私は臆病者です と宣言してしまっている事に気が付かずにいるのが痛々しく




「 へ~、そうなんだ、私はその場に居なかったので わからないなぁ 」 と


返すしかなかったのだが






まあ、多分

当時 市販薬として 一般に普及していた

現代で言うところの、 

” 滋養強壮 栄養ドリンク的 ”  「 ヒロポン 」の

不正確な受け売り だと想像する








「 ヒロポン 」 は、徹夜で作業する 軍事工事や

長距離を 不眠不休で飛ぶ 爆撃機のパイロット等に 支給された


2、3日の徹夜が可能になる、日本開発、覚醒作用のある当時の市販薬で

軍も 大いに活用し、大量に備蓄していた物で

当時は数社から 同様の覚せい剤が数種 製造、販売されていた



終戦後、

法律で禁止されたこのヒロポン



軍の大量備蓄品が 闇市等に流出し

快楽や、ストレスのハケぐちとして乱用され、犯罪や 中毒者、死者が続出した




昭和初期には 新聞や雑誌に 宣伝広告も出し

誰もが買える物であったのだが



戦後、

違法と成った後の乱用、「 ヒロポン中毒 」 の 悪いイメージが 定着しているのが

現状であろう




激戦時、造船所や兵器工場では

もう一丁、もう一艘と  積極的に利用したであろうし

不眠での任務遂行のために、長距離爆撃機乗員も活用したのは事実の様だが


それを、

戦時中の空気を知らない 現代の我々が

” タバコも悪 ” というような 現代の感覚で一方的に語れるものでもない






ただ、特攻隊員は


普段の飛行訓練の時から 武者振いで勇み 志願している者が多く


また 上官が、

残り少ない貴重な飛行機を 有効に使うべく パイロットを選出したはずであるし



臆した者や、心の不安定な者は

訓練や兵舎生活時から 仲間として 除外されていたと想像されるので



私個人は、

特攻隊員が ヒロポンで興奮して、、

という話しには 否定的で


皆も、知覧で隊員の遺書や辞世の句を読めば

納得せられると思う


















ここから先は、

2007年、 ブログ、ジャック・イズ・バックに書いた 「クラブハウス近辺の環境」

小野田寛郎氏の事や、写真を掲載した時のモノで

ここ、ひで屋ブログに 再掲載してみます














クラブハウス近辺の環境


これから色々話を進めていく上で必要な為
クラブハウス近辺の環境について 少々説明しよう

 
「 ハウジング・プロジェクト 」 の存在


クラブハウスの 住所は

77East 3rd Street New York、NY


エアーブラシで

“ 火の玉を手にした 地獄の天使 ” が 描かれたドアには

防弾ガラスがビス止めされ

向かって左側の 黒く塗られた柱に

赤いペンキで “77” と 地番が記されていた


マンハッタン 3rdストリートの
1st (ファースト) アベニュー と 2ndアベニューの 間
1stアベニュー寄りに位置する


「 イースト・ビレッジ 」  と呼ばれる地区の 東南端の一角で

3本南に下ると 

「 HOUSTON St 」 (ハウストン・ストリート) という

片側3車線は有る大きい通りがある

「 HOUSTON 」 は スペルは同じだが

テキサス州の 「 ヒューストン 」 と違い

「 ハウストン 」 と 発音する


そこ以南は 「 バウェリー 」 と呼ばれ

ユダヤ人経営の 卸問屋などが有り チャイナタウンへと続く

「 サイコ・サイクルズ 」 は ここら辺に在ったと思う


道路一本東に行くと

「 アベニューA 」 から始まる 「 アルファベット・シティー 」


「 ハウストン 」 & 「 アベニューB 」 付近には 

ボンジ や スティーブ とよく行った

「 スパイラル 」 と言う BAR があった


スパイラルの 道路向かいには
元銀行の建物を そのまま使用した 若者向けのクラブ

「 BANK 」 が在り

その中で 銃の乱射事件があった時は 人が雪崩れの様に出て来て
辺り一帯が警察に封鎖され

偶然 スパイラル で飲んでいた私達も
危うく取り調べの巻き添えを という事もあった


その 1stアベニューと アベニューA の間で

3rdストリートから 数ブロック北の地域には

大きな 「 ハウジング・プロジェクト 」 が在った



「 ハウジング・プロジェクト 」 は

一般に “ プロジェクト ” と呼ばれる 低所得者用の公営住宅で


「 キサマはどこで生まれたんだ、プロジェクトか! 」 や

「 プロジェクトに帰れ! 」 など

非常に 差別的、侮辱的な言い回しも有る 

「 貧民団地 」 の様なもので

アフリカン・アメリカン ( 黒人 ) や
ヒスパニック ( スペイン語圏の人々 ) が 多い


もちろん、低賃金で真面目に働いている人も 多く住んでいる


しかし 治安、生活環境は お世辞にも良いとは言えず
ドラッグ、DV は 日常茶飯事で
パトカーも 頻繁に巡回している


そして
私の知る ニューヨーク や ブルックリン の プロジェクト近辺には
大概 そのプロジェクト出身者が運営し ドラッグを販売している

「 Deli( デリ ) 」 ( コンビニの様なもの ) が有った


「 Deli 」 と言えば

一般的に マンハッタンでは “ 韓国人経営者 ” が 多いのだが
( あるいは LAも そうかもしれない )

それらはチャンとした? 「 Deli 」 で

韓国人ソープ の場所は教えてくれるが ドラッグは売ってない


その プロジェクト 近くに在る デリ

特徴は

道路に面した窓ガラス全面に シリアルや 洗剤等の箱を並べ
店内が見えない様に 成っている


店内には 生もの が 無く
菓子類や ジュース、 洗剤等日用品数種と
明らかに 商売は眼中に無い 非常に乏しい品揃えである


通常、客は ドラッグの カモフラージュに
25セントの ポテトチップなどを買って 食べながら 店を出たりする


レジは
防弾ガラス 極厚のプラスチック で天井からさえぎられ

お金の渡し口は 中に手やGUNなどが入れられない様
店員と客が直接フィジカル・コンタクト出来ない様に

逆さかまぼこ状のステンレス製受け皿が カウンターに埋め込まれていたり
極厚プラスチック製 回転ドア型というのが多い


又、 防弾ガラス越しに 店員が腰掛けているのは

“ 便座 ” だったりする


警察が来た場合 すぐに ドラッグを 下水に流す為だ


ただ これら レジ周りのつくりは
治安の悪い地域のお店では 強盗よけの為
ドラッグが 売られている、いない、に かかわらず 見られるので
決定的判断材料には成らない


その他 私の個人の経験的印象では


店員が ナニ人か 人種を判断しかねるような者が多い

店前の公衆電話に 誰か いつも もたれ掛かっている ( 見張り )

店内に 客ではない男が 1人いる 等々、、、


売っているモノは 
ウィードや エックス等の パーティー・ドラッグでは無く
習慣性や 依存度の高い物、ヘビーな物で

ストレス等から ドラッグに走る 貧しい地域住民を
同じプロジェクト出身者が 中毒にし 吸い上げ続ける というサイクルが
少なくとも90年代には
他国からポンと来た私でも すぐに気付くほど
公然と存在し 活発に動いていた


地域住民は もちろん
地元警察や DEA ( Drug  Enforcement  Administration ) も

この小規模な “ 悪のサイクル ” は 放置していて

“ 手入れ ” は お約束の様に 1~2年に一度ほどのペースで
各 「 DELI 」 の “ お得意さん ” ジャンキーが
目立つ事件を起こし( DV=ドメスティック・バイオレンス等、、 )
初めて “ 当局 ” が出て来て 取り敢えず 営業停止となる

「 DELI 」 運営者は 代理人を刑務所に入れ

ほとぼりの冷めた頃
数百m離れた場所に また、同じような店を出すイタチごっこで
当局は もっと大きな取引や 卸し元逮捕に エネルギーを費やす


その 「 DELI 」 が 何故か

3rdストリート上に 一軒在った


プロジェクトから クラブハウスを挟んで 2ndアベニュー寄り
クラブハウスの 5~6件隣のビルだ


何故 クラブが許しているのかは
ココでは言及しないが

とにかく この “ DELI ” が 

1つの頭痛の種であった


夜に成ると ( 昼もだが )
ドラッグを買いに行く客が クラブハウスの前を往復する為だ


ドラッグを買いに来るのは 

不良、 パーティー中の酔っ払い、 麻薬常習者

つまり “ ワザワイノモト ” 達 である


“ ドラッグが買える ” と 
噂を聞きつけた大学生などが フラッと入り 

「 ドラッグ欲しいんだけど、、 」 ナドと言っても 買えないもので

“ イチゲンサンオコトワリ ” だ


ココの 「 DELI 」 の商品で
私が知っているのは

コカインが 黄色のセロファンで包んである という事だけ

他のドラッグは知らない


買う時は
全て解っている  という態度で 慣れた風に、、

「 a  couple  of  “ yellow ” 」 ( “ 黄 ” を 2つ クレ! )

と言って

$50札 を出すと

黄色い包みが2つ コロコロっと 出される


イチゲン の者は 同じ事を言っても 「 何のことだ? 」
と トボケられる事も有ろうが 

「 Give me the couple of shit! 」

と強気で言えば
店員は 目を細め睨みながら 渋々コークを出すであろう


その “ お客さん達 ” が
禁断症状の時、 興奮状態の時 がメンドウだ


1stアベニューのコーナーを
タイヤを鳴らしながら曲がり

ハウス前のバイクを 猛スピードでかすめる者、、、

家まで待ちきれず
「 DELI 」 を出るやいなや 歩道で吸い始める者等、様々


一度、
鉄工所から帰宅した “ ビッグ B ” が

クスリに急ぐ “ お客さん ” の車に
クラブ・ハウス前で 危うく引っ掛けられ
転倒しそうに成った事も有る


怒った ビッグ Bは 
「 DELI 」 に 物凄い剣幕で怒鳴り込み

その “ お客さん ” の “ シツケ ” を
私がしたこともあった



その マンハッタンの クラブ・ハウス


エンジェルスの
“ 歴史 ” や “ 噂 ” を知る者、興味を持つ者が

目の前に立ち

ジックリと 眺めれば


ナカナカの存在感を示し


クラブに無関係の者であれば

「 スグに立ち去らねば。。。 」 という圧力を 感じさせるであろう


しかし 私が居た当時の イースト・ビレッジ

‘60年代、’70年代の  “ 華々しい!? ”
エンジェルスの存在を知る者は既に年老いて

白人の若者ですら その存在を知らぬ ‘90年代

黒人コミュニティーの若者が
ヘルズ・エンジェルスの何たるかを知る訳も無い


ドラッグを買うために 車で乗り付けた 黒人の若者数人


ナンの躊躇も無く クラブ・ハウス・ドア前に
道路をふさぐカタチで車を止め、 この 「 DELI 」 へ 歩き出す


「 おい ボウズ、ここに車を停めるな  」

「 What? 」

「 車を動かせと言っているんだ、
  お前らの車をかわそうと 後ろから来る車が
   俺達のバイク ギリギリに通ろうとする、
   事故のモトなのだ
   先へ行って 角を曲がった所に車を停めるんだ 」

「 Who the FUCK you think you are!
  You don‘t tell me what to do
、You fuck! 」

「 Well、  this is my street 、
  you gotta do what I said Kid 」

「 Fuck you man! 」

「 Just get out here
before you get hurt 」


少年らは
私を睨みながら車に乗り込み 静かに立ち去る


数分後


同じ車が通りかかり ハウスの前で 極端にスピードを落とす

私は 座っていた赤いベンチから 腰をあげる

助手席の若者

落ち着いた動作で 笑いながら オートマチックの銃口を私に向け
数度 引き金を絞る


「 パン、パン、パン 」


銃口を見ると 照準が かすかに 上にずれていたので
「 はずせる 」 と思った私は 軽く御辞儀をする様に 頭を下げる

弾丸は 私の頭上をかすめ 
正面ドア脇 ごみ箱上の壁に当った 、2発、、


4-5メートル


バレル・ライフリング溝の凹凸が見えるほどの距離では
銃口の殺気では無く

バレルの微妙なズレが判るもので
ほんの 0、何秒の時間だが

引き金を絞る瞬間に 弾丸をかわせるものだ


タイヤを鳴らし フル・スロットルで 去る 若者達

私は ライセンス・プレート の ナンバーだけを記憶し
あえて追い駆けることをしなかった


大っぴらに銃声がした後 更に問題が起きれば
私は簡単に捕まってしまうと 判断したからだ


「 ドライブ・バイ 」 の若者達の車が

2ndアベニューを直進したのを確認してから
ハウスのドアを開け 中に入った

私の郵便受けに置いてあるベレッタは そのままに
クラブハウス内へ行く


巻き添え逮捕を避ける為
他のメンバー達の部屋に行き 少しの間 外へ出ない様伝える


ハウスには
その日 ヨーロッパから遊びに来たメンバーが 1人居るだけであった
( 何処の国かは失念した。。ノルウエーの方だったか。。 )


若者達が 又 引き返して来るかも知れぬし
警察が来るかも知れぬと 状況を説明した


そのメンバーは物静かで ナカナカ好いヤツで

「 俺も 表に出よう 」 と 私に付き合ってくれた


ドアの両脇に立つ 


2人共 もちろん 丸腰


若者が引き返してきても

素手で始末するのだ


近所のアパート

明かりは付いたままだが
窓は 閉めきり 静まりかえっていた


何も知らぬ通行人たちが
笑いながら通り過ぎて行くのが 滑稽でおかしいかった


無言の 約30分


何も起きなかったので どちらからともなく 中に入る


薄暗い 赤い照明


二人で少しの間 テレビを見た

「 サインフェルド 」 、「 フレイジャー 」 だったろうか、、


心地よい 無言の時間


本当に 口数の少ない男だったが

互いの心臓を 手のひらで包み合っている というか


愛する者と 裸で抱合っている様な
そんな 心地良い時間だったような記憶が
ぼんやりと いまだに残っている


戦場での兵士の結び付きは こんな感じなのだろうかと勝手に想像してみる
午後8時頃の出来事だった



しばらくして
階上から “ テラー・チーム ” の面々が下りて来た

リーダーの ポパイ と スカッド は
当時 最上階の1つ下 同じフロアーに部屋を持っていた

スカッドは
今は無き ワールド・トレード・センターをバックに
腕組みをしている男で カレンダーを見た方もいるであろう


一緒におりて来た彼女は
ストリッパーと ロー・スクール ( 法学部 ) の2足のワラジという
変わったコだ


「 ナニも 変わりはないかい? 」

「 あぁ 」

「 OK ! 」


3人は
馴染のバー 「 ピット・ストップ 」 へ 出掛けて行く


ヨーロッパからのメンバーは
テレビをみてノンビリするからと 居残る


テラー・チーム候補の プロスペクト ” ポーリー “ が 同行


「 ハウスを頼むぜ ジャック、
  何かあったら ビーパーを鳴らしてくれ 」

「 オゥ 」


ストレート・パイプ以外 フル・ストックの FXLRで
ポーリーが出て行く


彼は 元 ジャージー・ノマッズ


マンハッタン・ダウンタウンから
ホーランド・トンネルを抜け ハドソン川を渡り

Jersey City、 Hoboken 以北をテリトリーにする
ニュー・ジャージー東部の ローカルなクラブ

ポーリーを含め 3人が 3rd・ST にチャレンジに来ていた


プロスペクトへは すんなり 進んだが

後に プエルトリコ系の “ KO ” が 脱落し
残る2人は メンバーと成った

もう1人は 「 SDサイクル 」 でメカニックをしていた


ポーリーの ” スポンサー ” ( 直接の兄貴分 ) は
日本人には とてもなじみが有る男だ


所有している人も 多いと思う
長濱治氏・写真集の
カバーに写っているメンバーだ


当時、アイアンホース誌で バイクと共に紹介されてもいる

バーガンディーの ランチェロに乗り
既に年配で 落ち着いていたが

ペーガンズが恐れる “ 元祖 テラー・チーム ” の様な男で
クラブの中でも 一目置かれている


私が居た期間内だけでも
何度か ペーガンズに shopを襲撃され
其のたび 助太刀に行ったものだが

その時も 助太刀に行く車内で

「 ポーリーと彼の2人だったなら 簡単にヤラレてはいないさ 」 と

皆が安心して言うほど “ 手強い ” メンバーだ


その辺の話は 紙面をあらため 書きたいと思う



さて

その ポーリーから ハウスに電話が来た

ピット・ストップ からだ


「 ジャック、悪いがボンジのVANで 迎えに来てくれないか、
    ポパイ のバイクが 動かなくなったんだ。。。 」


ポパイは その夜
ブラウンのチョッパーではなく
新車で購入した 黒のFXRで 外出していた


リジットのショベルは いつもキック・スタートに苦労していた為か
エボを購入してからは 滅多に乗らなくなっていた


電話脇のメッセージ・ボード
シェビー・バン使う旨 ボンジ宛に張り紙し
ピット・ストップへ 向かう


故障車を迎えに行く事は 良くあるので
ただの故障かと思っていたが
意外な事に成っていた


新車のFXR
シリンダー上部からオイルが漏れている

ガスケットかと思いきや
ヘッドに クラック(ヒビ)も入っている様だ


「 ファッキン・ブレット ( 弾頭 ) が食い込んでるゼ、ジャック! 」


2発は 私の頭上を越えたが

大口径の反動の為か、狙いを下げた為か 3発めは低目に飛び
私と シューターの間の停めてあった ポパイのバイクに当ったのだ


ガス・タンク( ガソリン・タンク ) で なかったのは 不幸中の幸い

又、 ポパイのバイクのおかげで 私の下半身は 無事だったのだ


大腿部には 太い動脈が走っているので
腹部より命が持たない場合がある

切れれば 出血多量でアッという間に あの世行きだ


ポパイのバイクに 頬ズリしたい気分だった


「 チクショウ、ファッキン・ニガーめ! ジャック、何発打ち返したんだ! 」

「 打ち返してないさ、ドライブ・バイだったからなぁ 」


「 ナンで いつも携帯してないんだ! 」

私に 八つ当たりする雲行きだ


「 皆は 罰金$500で済むだろうが、オレは強制送還だからな、
I can‘t carry the piece
all the time、
its too risky for me! 」


「 Fuck! 」


「 All right、ポパイ
脚の治療代替わりに 修理代は俺が持つから、機嫌を直してくれ

明日、ボビー の ショップへ出そう 

and I‘ve got plate number so
let‘s see how it goes 」

「 All right、
 find & kill the mother fuckers !
  
  Let‘s go inside and drink ! 」



この事は
次週の “ チャーチ ” ( ミィーティング ) でも 議題に上がり

撃たれっぱなしでは なめられるが “ 常に全員が携帯する ”
というのも 恐怖チーム以外反対で 現実には成らず。。


結局は
いくら 3rd st CREW でも
相手が特定できなければ 忘れるしかないという事だ  


翌々日、

私は ダウンタウンから ハドソン川を渡ってすぐの
ニュー・ジャージー州 「 ホーボーケン 」 に在る

“ HOBOKEN M/C ” の クラブ・ハウスを訪ねた


何度か パーティーに来ている彼らは 肉体労働者等が中心で
エンジェルスとまでは いかないが 地元不良の集まりと言ったところか


そのメンバーに1人 現役警官が居たのだ


「 ジャックだ 」

「 よろしく、ジャック、 何でも言ってくれ! 」


私は 書き留めていた 車のナンバーを渡し
彼に 持ち主氏名、住所の 照会を頼んだ


「 簡単さ、明日 電話するよ! 」


日本でも有るであろう
マル暴と 暴力団の情報交換のようなものだ


私は 40を過ぎた今でも
日本の警察に こんなコネは無い


当時 25歳で 外国人の私が
随分と ハバを効かせたものだと思う


悪徳!? 警官に命令出来るのは クラブの威光だ


たとえ どんな悪人、タフガイでも

パッチを背負ってクラブに所属していれば
3rd ストリート から来る私は 

「 ジャックさん! ジャックさん! 」 であった


若い私は、一時的にだが

身分による軽薄な優越感を
多少なりとも 心地よく楽しんでいたと思う

パッチが無ければ 有り得ない話で

又、英語を話せた という事も大きかっただろう


残念ながら 結果は “ 盗難車 ” で
身元確認は 出来なかったが

その頃には 
ポパイ は モチロン
当の私も 既に どうでも良く成っていた


似た様なクレイジーな若者は
毎日、毎晩 代わる代わる現われるからだ


エンジェルスの事を
多少なりとも知っている人にとっては
意外かもしれないが

私が居た約2年間のうち

たまたま、私が 「 クラブハウスのドアの前に立っていた時 」 だけで

2度の ドライブバイ・シューティング があった

その他
酔っ払いが バイクに小便をかけるような事から
近所のアパートへの 強盗、暴力事件


あきれてしまう事では
クラブハウス・ドアの まん前に停めた ボンジのバンから
カーステレオを はずして盗んだ ツワモノまで居た


火の玉を持った “ 地獄の天使 ” がエアーブラシで 絵描かれ

「 HELLS ANGELS NEW YORK CITY 」

とある ドアも

まるで “ らくがき ” 程度の 存在感だ



カーステレオの 結末

盗んだ人間は 数百メートルしか離れていない
8th st、セントマークス通り に住んでいる男であった


舐められたものである


しかし 蛇の道はへび の たとえ通り
しばらくして 盗んだ犯人が判明したのだ


メンバー全員がそろう チャーチの日

私のスポンサー “ 赤ひげ ” だけが
ベストを着たまま バイクで

その他 全員は 皆 ベストを脱いだ 私服の状態で
その泥棒のアパートへ向かった


ニューヨーク・シティー・メンバー全員


これだけの人数の “ 天使達 ” が “ 徒歩 ” で
イースト・ビレッジ を 歩くのも珍しい事で
滅多に無いであろう


大きな青いネオン・サインの BBQレストランの すぐ近くであった


ベストを着た “ 赤ひげ ” が

我々が何者かをアピールする為
エンジンをかけたまま アパート前の 車道に停まっている


この時 私は
チンピラ泥棒相手に どの様な制裁を加えるのか 様子を見るつもりで
天使達の2列目 に陣取っていた


たいした事を しなさそうだ
と思ったのは

恐怖チームの面々が 最後列に居たからだ

モチロン 先頭は 盗難被害者当人


アパートメント・ビルの ブザーを鳴らす


一時後、ヒスパニック系の男が 表に出てくると

盗難被害者当人は、 二言三言 口を開き
おもむろに 平手の張り手を見舞った


逃げようとするところを プレジデント “ B ” が 掴み 抑える
それから 数人のメンバーに 代わる代わる 袋叩きに

意外と長時間にわたって カーステレオの代償が払わされた
2ndアベニュー 歩道上


何でもアリ の イースト・ビレッジでも
サスガに 人が 集まり始め

赤ひげ が アクセルを吹かし “ Let‘s go! ” と 叫ぶ


皆 来た時と同じ道を真直ぐ南下し ハウスへ戻った


確か私は
戻る途中 メンバーの マークと
4thストリート のコーナーにある スポーツ・BARに寄ったと思う

マークの彼女の グゥェンが 働いていたからだ



とにかく 毎日
クラブ・ハウス周辺では 色々な事が起きる


ホトンドが 酔っ払いや 麻薬常習者相手であるが

その為に ニューヨークシティー・チャーター( 支部 )では
他の支部には無かった “ 24 hour watch ” がある

“  watch ” ウァッチ とは “ 見張り ”  の事だ


ハンガランド、 オフィシャル・ハンガランドは含めず
メンバーと プロスペクトのみ の 責任ある 御役目


次の日 仕事が有ろうと、何が有ろうと
365日 毎日必ずある
全員参加 完全交代制 徹夜の “ 見張り ” で

これは これで 思い出話等も多く有り

1つのサブジェクトにも成り得るので
後日改めて詳しく書いてみたいと思う


さて、

今回書いた中で 私なりにプラスとなった経験は

弾道が “ 感じられた ” ことである


厳密に言えば 感じられる事を体験で知り 納得出来た事 と言おうか


私は 根性主義者 でも 精神第一主義者 でもなく

又、 全くの合理主義者でもなければ、理論家でもない


その “ 中間 ” というのも 全くのハズレで

 “ 精神力 ” や “ 心 ” を 非常に重視し 尚且つ
合理的なところは 極端に合理的であるから

両極端を 同時に持っているという感じであろうか


民放番組のネタに成るような “ 気 ” のパワーや
超能力、霊 等 非科学的な事には 全く興味が無く

武道と言うと よく

“ 気 ”のパワーで 触れずに相手を吹っ飛ばす や

足の裏から “ 気 ” を出し 垂直の壁を走れる人 等の話をされたり


宗教や、禅 と言うと

過去や未来を当てられる お坊さんが居るとか
手のひらから “ 気 ” を出して
病気や 悩みを治してくれる人の話をされたりするが

その手の話題は 全く苦手である


しかし
環境や 修行によって
人間の持っている 潜在能力が 研ぎ澄まされ 高まる 事は理解している


空手や 剣道も 3-4年 真剣に稽古すれば
自分よりも経験の浅い人間が
立合いで 次に どんな技を出してくるか 感じられる様になるし

それを 向き合っている状態で
押し込めたり、出させたり 出来る様になる事は
多くの人が体験しているであろうし

“ 背中に視線を感じる ” と言うのも

環境で研ぎ澄ませば “ 殺気 ” を 感じる事に成り得るとも思う


長く山に籠もっている山伏の嗅覚、聴力、が高まったり
誰か山に訪ねて来るのがわかるなど
軽い予知能力の様なものも 高まる話を聞く


私は たまたま 僅か2年弱のことではあるが


毎日、生命の危険を感じながら
ピリピリと 神経を研ぎ澄ませていた状態によって

突き、蹴り、剣先 では無く
銃口や弾丸が
私を 本当に殺そうとしているのか
当るか、当らないか を なんとなく感じ取れ
銃口から 赤い光が出て 弾道が見える という様な感覚を
何度か体験した


数字や 言葉で 説明は出来ないのであるが

数度の実体験によって 確認できた事は
私なりに
今の日本では ナカナカ経験出来ない

又、お金で買うことも出来ない
有意義な 体験確認であったと 思っている


信じてもらえないだろうことは 想像できたので
今までいたずらに 人に話さなかったのは

未体験の人達には
調子に乗った 大げさな作り話と受け取られても
仕方がないと思っていたからだ


植芝翁にも 似た様なエピソードが あったかもしれぬが

現代、
私の体験を 敬意をもって シェア出来る人物は
小野田寛郎(ひろお)さん1人 しか知らない


賛否、好む好まぬ 様々と思うが
私個人は 多大な敬意と
畏れ多い言い方だが 非常に “ 親しみ ” を 感じている 日本人だ


後年、
その存在、体験を知ることによって
私自身の体験にも 確信が持て 安心出来たのだ



小学生ながら
母親の一言がいまだに印象深く 耳に焼き付いている


その時から
この手記を手に取り 読む御縁が 芽生えていた様である


「 横井さんは隠れてたけど、小野田さんは戦っていたんだよ、
    全然違うんだから、、、あの態度を見てごらん! 」



帰還して直ぐの手記 
「 わがルバン島の30年戦争 」( 講談社 ) には紹介されていないが


20年後の 1995年 改めて出版された
「 たった一人の30年戦争 」 の一部を紹介する


以下 本文抜粋

 私の右手薬指には、今もあの夜襲で弾丸が貫通した三日月形の傷が残っている。
私はあの夜の情景を不思議な体験として、はっきりと思い出すことができる。
敵の野営を襲撃し、突然、猛射を浴びた。
小塚と一緒に密林へ飛び込み、逃げ遅れた島田伍長を援護射撃していた。
月明かりの夜だった。
火を噴く敵の銃口に照準を絞ったとき、敵弾が真っすぐ腹部に飛んできた。
私はとっさに右腰を引き、腹をへこませた。
弾丸は右手薬指の先をけずりとって銃把に当たり、跳ねた。
変形した指をある新聞記者に聞かれ、この話をしたら

「 それは小野田さん、感覚の問題でしょう。
一直線に腹に向かってくる弾丸が目に見え、
身をかわしてよけた、なんて、論理的にはあり得ない 」

と信用してもらえなかった。
しかしあのとき、弾丸が私の目に間違いなく見えたのである。
敵銃口との距離約五十メートル、カービン銃弾の初速六百メートルとして、
1秒足らずの時間である。
正確にいえば、銃口から弾丸が発射されたとき、
赤い光芒の中心に、刀の峰のように感じた三十センチほどの青白い光が線を引き、
一直線に私の腹部とつながった。
その一瞬、私は体を右に開き、腹をへこませたのだ。
私には感覚でなく、弾を避けたのは論理であった。
私は剣道三段だが、試合で相手の切っ先をかわしたときに似ていた。
昭和二十八年五月、密林で丸八年がたっていた。

あのころの私は、嗅覚も聴覚も人間の五感といわれるものが、
鋭利な刃物のように研ぎ澄まされていたような気がする。
風上に牛が近づけば、おおよその距離や頭数を予測できたし、
木の葉の擦れる音で、生き物か風か感じ分けることができた。
ジャングルで八年間、つねに周囲に命を狙う敵の存在を意識して生きていれば、
人間にも動物本来の野性や本能がよみがえってくるのかもしれない。

以上、


私は クラブを一時的に抜けたあと
この本に出会い 小野田氏の体験を知り

膝を叩き、 興奮した!

ジワーッ と 体内の血液温度が上がり
頭が熱くなった



これを書いた小野田氏 当時73歳

本書を こう 締めくくっている


戦後日本人は 「 命を惜しまなければならない 」 時代になった。
何かを “ 命がけ ” で やることを否定してしまった。
覚悟をしないで生きられる時代は、いい時代である。
だが、死を意識しないことで、日本人は
「 生きる 」 ことをおろそかにしてしまってはいないだろうか

以上




戦争や、病気で、 若くして亡くなった方々

現在でも
身体の不自由な方々等を思えば

皆さん

出し惜しみをしていませんか?

明日 死んでも 悔いの無い様

全力で 「 生きて 」 いますか?


























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渡邊秀樹
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非公開
自己紹介:
ひで屋 5年10ヶ月お世話になりました、2015年8月一杯を以って閉店いたしました。
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