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ひで屋、5年10ヶ月後の平成27年8月末 閉店致しました、皆様 お世話に成りました。こちらのブログは暫く残しておきますので、御自分が写っている写真を取り込む等使ってくださればと思います
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故小野田さんに触れた 旧ジャックイズバックの記事を

ひで屋ブログに 再掲載したところ


御意見、リクエスト等 多々有り


ここ、ひで屋のブログに 随時選択し、再掲載してみる事にしました

(旧ブログは、フリーサーバーの期限切れで、古い物から削除されたため)





今回は、

旧ブログ ジャックイズバックに掲載した中で 唯一、


将来、私のライフワークとして 実行しようとしている方面のもので

( 武道、禅僧、 宮城、みちのく東北に ゆかりのある 先人の事跡、逸話等の研究、紹介 )



これもあえて、数年前のまま 載せてみます



後半の  「 胎教 」 が、 それなのですが



その 1つ前に書いた 「 クラブハウスで 命名の話 」 と セットの様なものなので


長くなりますが 2つ続けて載せてみます








= クラブハウスで 命名の話 =



私がクラブに入るきっかけとなった男

彼の名を仮に ” ポパイ ” と しよう



クラブに入った 当時の詳しい経緯は のちほど 改めて紹介するとして



その ”  ポパイ  ”  が

クラブのパーティーで  私に 話し掛けてきた

最初のメンバーであった




彼は、身長こそ 高くないが


出所したてで 皮下脂肪無く、筋肉隆々、

鬼の様な 体をしていた




その時の会話は


「 俺は 柔術をやっているが、お前は 何かやっているか? 」


「 私は 空手をしていた 」


「 ブラックベルトか? 」


「 そうだ、 だが アメリカでもらえる ブラックベルトじゃない、  
 
  日本で取った 本物だ、フル・コンタクト・スタイル だよ 」


という 感じであった




この 短い会話で

彼の 無表情が崩れ  不敵な笑顔に変わり


私に 好奇心の強い光が注がれ

さらに会話が進んだ


武道が取り持った縁とは こじ付けか、、




アメリカには 「 柔術 」 の道場が多く


その 殆どは、南米、北米人 の経営で


日本に伝わる

加納治五郎 講道館 以前の それとは

全く 別物である




ポパイは

抗争時に 役立てる為の 格闘技術習得 と

有り余る 闘争心の発散場  として 柔術を習っていたのだが


” ドージョーに 相手に成る奴が いない ”

と 私にこぼしていた



技術的 にでは無く

彼の気迫に ついて行けないのだろう事は 容易に想像できた



組み手は  本気で 喧嘩の様にしていたのだろうし


誰も 彼に本気で掛かる勇気が無く 遠慮が有ったのだろう




「 試合に勝つ為の 稽古 」  と  「 戦場で身を守る為の 鍛錬 」 では


気迫自体が 「 異質 」 だから 無理も無く


肝の太い生徒が ( 先生も含め )  居なかった様だ




さて、 その ポパイ


アメリカの中でも 最も攻撃的な ニューヨークシティー支部

さらに  その中に存在する 「 超タカ派 武闘派集団 」 


 ” 恐怖チーム ”  の リーダーで



つまり

「 アメリカで一番 イケイケな男 」  と言っても 大袈裟ではない男



しかし その時点で

私はまだ


ベストに付いた あらゆる 小さいパッチの 意味を知らなかった為



幸い 変な先入観無く  直感の 第一印象で


「 イイ男だな 」 と 


会話と 彼の表情の変化を 楽しんでいた




丁度、私に会った頃  ポパイは結婚し

すぐに子供を授かった




出産は、

クラブハウス上階にある 彼らの部屋に 助産婦を呼び


皆で湯を沸かし

助け合いの中  行われたのだが、、



サスガの私も   ” ウーン ”  と 唸ってしまった




彼のワイフは ブロンド&ブルーアイ


顔、スタイル素晴しく

ニューヨークにいる 白人女性の中でも 綺麗な方であったろう




普段から 見慣れている その女性が


たとえ、皆は 主人の仲間であっても 



我々の前で ベッドの上に 四つんばいになり


局部 大あらわで 分娩する様は  ナカナカどうしって、、



露骨な表現をすれば


動物番組で見る 四つ足哺乳類の 出産の如く 気張る訳で、、



今でこそ 日本でも   ” 夫 立会い出産  ”  が 浸透しつつあるが


当時 25歳の私に 友人の妻の 分娩立会いは

なかなかの インパクトで


また それを

「 手伝いに来てくれよ! 」  と言う ポパイの 無邪気な笑顔も


” この男には、どこか敵わないなぁ ”  と  私に思わせ




「 文化の違い + 個人の性格 」 として、心中 渋々理解したが


とても 最後まで 見るに堪えず、、 私は外で待つ事にした




出産 無事終了し 、健康な 男子誕生


HAカレンダー1号の表紙で お馴染みのメンバー 仮名  ” ビック B ” が


子供を  ” キャッチ ” した  ” 記念 ” の 写真も見たが



ビックBの複雑な表情に 私も少し 安心した





そして

その写真を撮るために 


あの場で カメラを片手にしている メンバーを想像すると

おかしくて 妙にホッとしたりもした


懐かしい 思い出である  ( 撮影者は、2冊目カレンダー表紙のメンバー  )





翌日私は 出産祝いに 子供用の空手着を プレゼントした



大きくなったら

私が 空手を教える約束を していたからだ




そして  「 瞬間湯沸かし器 」 の様な ポパイの為に


” 沈勇 ” 、  ” 押さえ忍ぶ ”  という意味の メッセージを

色紙に 筆ペンで書き 渡した




文章の意味を説明すると 目を輝かし喜んでいたが


翌日、

色紙は暖炉の上、見事 上下逆さまに 飾られていた






ちなみに  ” 押忍 ” ( オス ) は 


空手、応援団等で 良く使われるが


私は 個人的に 好ましいと思っておらず  使わない様にしている




「 武専 」  ( 大日本武徳会 武道専門学校 ) での 挨拶


“ おはよう 御座います ”  を


簡単に発音したものが 発祥云々と言われているが



「 押さえ忍ぶ 」  は 当て字で



武専教科の 剣道、 柔道、 弓道、 薙刀修行の 方々が


挨拶に  “ オス ” を 現在 使っていない理由を

空手修行の方々は 考察してみると 良いと思う 



また、内藤高治先生 から学ぶことも 多いので

武専周辺の書籍にも 是非 手を伸ばして頂きたい



格闘技観戦ブームの 今 

天覧試合に 勝敗をつける事に 異を唱えた 先生の道愛は

仕事、教育等  日常生活全てに 生きるはずで

その辺の話は また別の機会に、、

本題に戻る




私は 赤ちゃんの 名前を決めたのか 尋ねた


「 ポパイ、名前は 何とした? 」



「 ジェシー・ジェームスだ! 」


「 ふーん、、 」


「 どうだ、良いだろう? 」



「 ポパイらしい としか 言い様が無いな、、、 」




エンジェルスのメンバーが 息子をジェシージェームスに、、、


映画の様な話だと思った 




「 ジェシー・ジェームス 」 は

言わずと知れた  昔の ギャングスターだ



まあ なにしろ


「 こいつは クラブハウスで生まれ、生まれた時から エンジェルなのだ! 」 と 

公言する あの ポパイ の子供なので


エンジェルに成るべく 英才教育が ほどこされる訳だから


この名を嫌がる様な人間には 育たないと思うのだが


それでも


「 そいつはクールな名前だ! 」  と 喜ぶ  

” 恐怖チーム ” 面々は 別として 


意外にも 何人かのメンバーが 複雑な表情をしていた


「 ナニ!本気なのか?? 」と驚く者


「 フゥーン、、 」 と 深いため息をつく者、等等、


その反応も 私には 新鮮で、意外と言えば 意外であった



子供の将来を 真面目に考えてみろよ

本当にそれで良いのか  といった顔をしていたので


子供の名付けには 慎重な者も居るのだなと 好ましく感じた




ジェシー・ジェームス

日本で例えれば 誰を当てはめようか、、



以後私見、


私は 両親が 愛情をもって命名する に尽きる思う



が しかし


20代前後の 人生経験、教養で


新生児が背負う 一生


約70年に 耐え得る命名が 可能であるかと 問われれば


私は 心細さを禁じえない



その 祖父母の教養すら 疑わしい場合も有る



命名は 重大なイベントにして

後々の後悔や  無理に納得、 あきらめ、、の可能性が 多いのも事実



学識、教養有る方で

尊敬出来る 年配の方に アドバイスを頂くのも

良いのではないかと 思います



両親が  10代、 20代、 30代 と

命名時の 知識教養  当時の世相、 出来事、 流行、


その時点での両親の人生経験、 精神年齢で

興味が有る 人物、  趣味、  宗教 、、、


時として その当時人気の 芸能人の影響  等々



以前 ファッション雑誌に

エアージョーダン NIKE ブームの時


スニーカー・コレクターの若者が


「 ナイキ 」 と、当て字の漢字を使い命名した

自分の息子と 一緒に出ていた記事が 有ったと記憶している


極端だが 良い例だ



この若者にとって 「 スニーカー コレクション道 」 は

当時 、男子一生の 追求すべく 価値の有る事 だったのであろう




果たして人間は  日々 成長するものでありますから

今日の満足が 明日の冷や汗にも 成りましょう



命名に関しては  人生経験よりも

言葉や 漢字、 歴史、 偉人等の 深い学識が

頼もしい助けになると 思われますから



まず 真摯な愛情


そして 子供が 大人に成った時のことを ヨクヨク考え



自信が無ければ

良く 学問を修めている 儒者、国学者、漢学者、宗教家等に 相談し

” 参考にする ” 事も

楽しく 有意義であると思われます




宗教家の場合 私は 特に


机の上の学問は 勿論ですが


心身共に 練りに練って、 鍛えに鍛え 

本物の眼(まなこ)を持った


禅宗の 御師家さん、老師さん方に相談する事も お奨めします





ナイキ君


彼も そう成るべく あらゆる条件が そろって

そう成った訳で

めぐり合わせ としか言いようがありませんが



オリンピック選手にでも成れば

スポンサーには 困らないだろうから


人一倍  Happyな 人生と成る可能性も、、、



ヨクヨク カンガエラレタシ




=============================

 

  「 胎教 」





命名の 御話ついでに。。。




「 妻と私が ソウルシンガー当時 サムクックのファンで

 胎教にも それを聞かせていて~ 、、」

 
 
という コメントを頂いたので 



胎教の話を







江戸末期、

埼玉県秩父に 代々続く裕福な家の


お祖父様と そのお孫さんに まつわるお話で



お孫さんが、実の母親から聞いた 当時の話しと、

自分の記憶を回想した 実話です




当時の 子育てに熱心な 様子もわかり


読んだ当時 20代後半の私に


考え方、生きてゆく指針等 何かしら影響を与えてくれました





高野佐吉郎




このお祖父さん、高野佐吉郎は


格式ある 裕福な家柄に生まれ育ちましたが、


経済力に あぐらをかかず 努力をした人で



人間、人格を 磨き 高めるため

いわゆる 「 文武両道 」 に 精進し


武道は 小野派一刀流を 中西中兵衛に学び

神社内の剣道場で 近所の人々に 剣道を教授していました



又、学問は

机の上の学問ではなく

実践求道


生きた学問である 禅学を 坂井守道禅師に学び


「 こころ 」 と 「 からだ 」 両方を高める 努力をしており


人間的にも たいへん 優れた方であったようです




さて

娘さんが 孫を身ごもると 「 胎教 」 を 熱心に 心掛けました



毎日、大勢門人が来る 剣道稽古の時間になると



身ごもった娘さんを 正面師範席に 正座させ


気合のこもった稽古、竹刀の音を聞かせ



又、時には 諸国から 剣道の大家が招待され



10日~20日と滞在し、地元民に指導をする折も


その 立派な先生方の稽古振りを 娘に見学させる




夜は夜で 、

娘と、お腹の中の子供に


英雄、豪傑、武勇伝、偉人の伝記等を 読み聞かせた


( 胎教の効果は、この時点で 両親の受けた感動が、
  
   生まれた後 子供に伝えられる という事に成るのだと思います )




当のお孫さんも、

子供の頃、母親によく 牛若丸の話を聞かされたと回想し



母親も、

当時若く、妊娠した身体で 大勢の門人の前に座らされる事が

気恥ずかしくて 仕方が無かった と 後年 息子に話している





現代は、

男女同権平等云々、女性も強く成った世の中ではあるが

それでも、


お腹の出た 若い妊婦さん、

男達が汗を流し 気合を入れて稽古している剣道場 正面師範席で

正座して 稽古を見学しろと 言われれば

多少 気恥ずかしいであろう


それを 「 オンナは 三歩下がって 」の

幕末は 文化文政年間頃 である




又、道場師範席に 娘を座らせた


おじいさんの 「 熱心 」 と


考えの柔軟性も 特筆すべきで




生徒らから 不平不満等が 出なかったのは


皆に慕われ 尊敬されていた


お祖父さんの人柄 「 人徳 」 の 大きさであろう


( 厳密に言えば「 胎教 」はここまでなのだろうが
  

  私が思う所の「 胎教 」を続けると、、 )





さて、そのお孫さん


秩父神社の 森の中にある道場で お生まれになり



男の子と判るや、お祖父さん



当時有名な 刀剣師を呼び寄せ


自宅庭に 新しい ふいごを しつらえ


大小 二本の刀を鍛えさせ


出生祝いとして 孫に贈りました




コレは 財力が有るから 成せる業ではあるが


なみなみならぬ 愛情を感じます




贈られた当人も


「 なんと ロマンチックな 話ではありませんか 」 と回想している






その後


歩くようになった頃から 木刀を預けられ


お菓子を褒美に 型の稽古を 続ける




お菓子欲しさ 日に何度も お稽古を お願いする孫



その度々

どのような急な仕事も 大事な用事も振り捨て


喜んで、熱心に 剣道の指導をした お祖父さん




やがて その努力が 報われる時が来ます



「 松平下総守の 秩父巡視 」です




お殿様の 来訪で 


当時 5歳の孫は、


祖父と共に 御前で 一刀流の型( 組太刀 )

五十六本 を 見事披露し



殿様から 「 奇童 」 という 二文字の書と


脇差、 銀五十匹を 拝領します





「 この時 祖父は 感極まって 涙でいっぱいでした
 
 

  その得意や 思うべしであります、、」  と、孫 本人が回想してます




さて、「 胎教 」 から少し 話が進みすぎましたが

実は この話の土台に もう一つ 興味深い話が 有るのです




それは、このお祖父さんが 教えを受けた


「 坂井守道禅師 」 の 事跡です





守道禅師は


貧しいお寺の 住職でありましたが


大悟徹底した 活淡無欲の傑僧らしく

托鉢で頂いた 少量の米も 貧民が貰いに来れば 全て与え


自身は 3日でも4日でも 水を飲んで 平気でいるという

積善を積む人物 で あった様です




お祖父さんは 

事有るごとに 食べ物を持参しては 教えを受け



和尚が 体調を崩せば 薬を調達し 看病する



又、和尚が 法事で近くに 来るときは


必ず お祖父さんの家に 滞在し 夜を徹して語り合うなど 


家族そろって 親密な間柄であり



禅師の 学問上の知識、禅の教えが 伝えられたのでした




その和尚

齢( よわい ) 九十歳で 危篤に陥り


看病に来ていた お祖父さんを 呼ぶと

こう言うのです




「 つね日頃の御恩は 此の世で報いることは 出来なくなったが

  必ず貴方の家から 一世一代の 偉人を出す。

  それが 私の 報恩の一つだ 」


   と、 遺言して 亡くなられました






この遺言 味わい深いでは ありませんか





禅師、生きざまのへ自信と、お祖父さんへの 信頼が詰まっています





つまり 禅師は

 
「 私が 生活上で 実践してきた事を 貴方は理解しているはず。
 

  陰徳を積み、誠実に 慈しみの心で 人に、家族に接し 教育すれば

  時間の遅速は有っても、必ず 素晴しい子が育ちます 」

  

  という事を、

  禅僧特有の 言い回しで 語ったと、私は解釈します




 因果 ( いんが )の事であります


( 善因善果、悪因悪果 ただその果来るに 時間の遅速有るのみと、、)





この遺言を読んだ 当時

私は しばらく 身動き出来なかった 記憶があります




俗物芸能人が 言う様な 

いいかげんな 予言、占いの類ではありません



お祖父さんは、その後

よくよく 積善を心がけ


お正月前には 貧村を訪れ 

お餅のつけない家に お金や お餅を配るなどの話が 残っています





そうして 育てられた お孫さんが


近代剣道の祖 と云われ


中山博道先生と共に 日本剣道の 大黒柱となった


高野佐三郎先生であります







ここで、


私の考える「 胎教 」というのは


お孫さんを 懐妊した時点からではなく


禅師が、

お祖父さんに 接していた時点から 始まっていた という事です




「 世の中に 優れた人物を 送り出す 」

“ 出産 “  を 考えれば 




我々 一人一人の毎日、


誰かと ふれ合い、接する 一分一秒が


誰かの為の 「 胎教 」 と成っているはずであり




「 胎教 」 は


キリストさんや お釈迦さん、孔子さんが 生まれた時以前から

始まっている  とも 言えるわけで



必ずしも


10ヶ月の間だけ の事ではないと 考えれば   皆さん 



日々 シッカリと ツトメマショウゾ






高野佐三郎













































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渡邊秀樹
性別:
非公開
自己紹介:
ひで屋 5年10ヶ月お世話になりました、2015年8月一杯を以って閉店いたしました。
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