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ひで屋、5年10ヶ月後の平成27年8月末 閉店致しました、皆様 お世話に成りました。こちらのブログは暫く残しておきますので、御自分が写っている写真を取り込む等使ってくださればと思います
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先年の西国行きから あっという間の1年








寝床頭上の 横額を



盤龍老師 西国三十三所印譜賛から



 




鉄舟先生 富士画賛に架け替える










せっかくなので、この画賛に ちなんだ



曇り無き心、臨機応変、沈勇、匹夫の勇、真剣勝負、と共に

江戸っ子 鉄舟、 余裕の洒落っ気






また、啐啄同時 ( そったくどうじ )とも言える


” 導く者の実力 ” を 垣間見れる逸話を


小倉鉄樹談  「 おれの師匠 」から 読み易く紹介してみます












山岡鉄舟が

明治天皇の侍従を勤めておりました 明治初頭、



月に2回の休日は


握り飯を腰に 草鞋がけで


東京から 箱根を越え、静岡県 三島の龍澤寺へ参禅に通っておりました




参禅を受ける御師家は 星定和尚


宮城県松島は瑞巌寺近隣 水主町出身の禅僧であります






ある日の夕方、


茶屋の主人が 夜の山越えは物騒だからと 引き留めるのも気にせず


修行に張り切っていた鉄舟は

日の暮れた箱根の山路を ズンズンと登ってゆく






すると道ばたに


いかにも人相の良くない雲助が 十四、五人 焚き火を囲んで 暖をとっている


いわゆる 物盗り、盗賊のたぐいである




避けて通っても かえっていけない と思った鉄舟は


「 煙草の火を貸してもらいたい 」 と、わざと焚き火に近づいた




「 さあ おあがんなさい 」 と云うので、一服つけて


しばらく暖をとってから 立ち去ろうとすると




「 だんな、夜 箱根山を越すからには、ここの掟を御承知でしょうね 」



と、ドスの効いた声で、一人が鉄舟の顔を ジロジロ見ながら言う





かねて この事ありと察していた鉄舟は



静かに 煙草入れを納めてから





「 ああ、よく存じている。


  ここは お前達の縄張りだが、


  この山道で、わしに追いついたら 何でも進上しよう 」




と 返事するなり




あっけにとられている一団を尻目に


どんどんと山道を 駆けだした





三,四人 立ち上がって 追いかけて来た模様だが


脚の速い鉄舟には 追いつくことが出来ず


何も盗られずに 帰宅したという






全てに 味わい深い











東京から三島への参禅


3年目の ある日





星定和尚が 初めて 「 よし 」 と 許した



( 解り易くいうと 禅問答において )










ところが 鉄舟、


とんと良いとは 思わない



実感がわかない







「 なんだ つまらぬ、こんなことでよいなら 三年通って馬鹿をみた 」 と





腑に落ちぬ体で 和尚のもとを辞去し



徒歩で東京へ 引き返して行く







箱根の山に さし掛かり





ふと 山の端から



” ぬっ! ” と あらわれた 富士山を 見た瞬間、




覚えず  ” はっ! ” と





豁然大悟した







機縁というものは 誠に妙なもの







喜びのあまり 鉄舟は



ただちに踵を返し



星定和尚の元、龍澤寺へ走った








駆け戻った 鉄舟の姿を見ると




星定和尚は ニコニコして





「 今日は おまえが 間違いなく 帰ってくるだろうと 待っていた 」




と 言われたそうである







星定和尚には 鉄舟の 心機一転の様子が すでに見えていたものらしい






鉄樹氏も


鉄舟が コツコツと 三年間も


東京から 歩いて通ったのだから


星定さんは よほど力のある方だったのであろう


と語っている














” 晴れてよし 曇りてもよし 富士の山


   もとの姿は 変わらざりけり ”



という和歌は




鉄舟が この時の 大悟の心境を現したもので



よく富士山の自画賛に 書いたものであると


(おれの師匠 小倉鉄樹談)



















晴れてよし 曇りてもよし 富士の山

もとの姿は 変わらざりけり

高歩 印 (山岡鉄舟)





















































小倉鉄樹

(画家の方もいらっしゃいますので 一応、日本画家 小倉遊亀 夫)



*読み易く、受け入れやすくする為に、敢えて敬称略し主語等入れ替え




* 啐啄同時 ( そったくどうじ ) とは、

 
  
  
   

  絶妙のタイミングと申しましょうか


  

  
  
  鳥の雛が 卵の内側から、殻から出たいと 意思をあらわした刹那=啐


  親鳥が、殻をつついて 雛が外へ出るのを助ける=啄




  禅宗において、今まさに、悟りを得ようとしている弟子に

  

  師匠が すかさず教示を与え 悟りの境地に導く
  




 機縁が熟した時を 見逃さず


 ポンと 尻をたたく



 見逃さず叩ける 実力



師弟、親子の  誠実真剣なところ であります













































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渡邊秀樹
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非公開
自己紹介:
ひで屋 5年10ヶ月お世話になりました、2015年8月一杯を以って閉店いたしました。
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